ネルケ無方

それまでの私は、「体なんて脳を機能させるための道具に過ぎない」としか考えていなかったのですが、姿勢を正し座禅していると、自分の意識とは関係なく、絶えず呼吸を繰り返し、心臓が鼓動していることに気づかされました。これは衝撃的でした。私は、「いまここに生きている」という実感を得たのです。 キリスト教の教えでは、体を使うことはほとんどない。もっぱら信仰心が重要だとしている。西洋哲学も頭で考えることをとことん突き詰める。 私自身、ドイツにいたころは、頭(脳)だけで思考し、頭が体をコントロールするものだと思っていた。体は脳を活かすための道具に過ぎない。授業中に姿勢が悪くてよく先生に怒られたりしたが、へっちゃらだった。 「私は、きちんと授業を受けている。先生の話も聞いているし、自分の頭で考えてもいる。姿勢が悪い? 何が悪いのだ」 しかし禅と出会い、私の考えは一変した。 座禅では、脚の組み方から、手の位置、体全体の姿勢まで、細かく決められている。そして、その姿勢を崩すことなく、静かに坐る。 初めは、「私(自分)が坐っている」と頭で認識しているだけだが、だんだんとその認識が首から下へ降り、体全体、さらに体の外まで広がっていく。 「呼吸をしているのも私、心臓が動いているのも私、細胞の一つひとつが私、窓の外で鳴いている小鳥とも私はつながっている・・・・・・」 坐禅をすることで、体ごと私自身なのだと気づかされた。